fatimariaの日記

誰からもコメント無いのでコメント停止しました。連絡はメールで。

さっき眠ってるとき見た夢。と、続けている事による神通力について。

さっき眠ってるときに見た夢。

大きな船の中で、
私は鍵を見つけないと元居た場所のロックが外れず、
船内を鍵以外の何かを探し回っていた。
鍵は自分で持っていたのに気付いてなかった。
私がバイトで苦労して買った炊飯器の中がカビ?だらけになっており、
炊飯器のときの思い出の映像が流れた。
上司が私に別の部署に行くように説明していたが、
突然上司が「ゴーグルに冗談だよって書いてあるのに真剣に聞いて(笑)!」
ゴーグルとかが曇って指かで何か書いてあるようだが、何が書いてあるかわからない。
それから船内はお別れモードに入って、
お別れなら死ぬかもというような映像が流れたが、別に死んでもいい というような後ろ向きになると女性が複数回私を助けていた映像が流れた。

私が蒼真来須になっていたが、
ストーリーを見せていた3名の姿がコロコロ変わる幻術を高僧3名が纏っていたのを見せられ、
私は、「すいませんでした。」と言って船内の他のひと達がそのまま座っているので座った。私は座るとき作業着を着ていた。
(あとで起きてからよく考えると、むこうは高僧3名でこっちは私は1人なんじゃない?と思ったが、誰に助けられているかわからないので、1人とも言えないかも。)
誰か男性が、「食事のとき手や食品をアルコールで洗う。一度食中毒で下痢してからずっと。」と誰かに説明していたが、
私の座っている所まで、何故かミンチ肉のような排泄物(ゲロ?)が迫ってきていた。
私「誰の排泄物かなぁ?」

そこで起きた。

起きると、女性の声で頭の中に、
「どう?排泄物の近くにいる気分は」
と聞こえたので、
私は心の中で、
「人間はだいたい常に自分の中に排泄物を持っている。
それを取り除く為に断食したり牛蒡を食べて排泄しきったりする訳でしょ?
宗教によっては動物性を排泄しきれば清いとされるらしいし。
しかし植物は動物の排泄物や死骸で育つ訳で。地球で一緒。
焼かれても空気と炭素とかになるし、焼かれなくても地球で一緒。
いちいち同意を求めなくても、地球で一緒。
地球や宇宙の縄張り範囲(テリトリー)の問題でしょ?
ではどこから取り寄せた食品か、
その食品はどこの土や食品で育った食品か、とか、いちいち調べて食べてる?って話。
作る方は調べてるけど、食べる方は調べてないのが多いと思う。
でも言いたい事は、
排泄物の気持ち、
ミンチ肉の気持ち、
ソーマの気持ち、
がわかるかどうか聞いたんでしょ?

屠られた者達の気持ちや、
刈られた植物達の気持ちがわかるひとってあんまりいないから指摘したんだよ。

ゆるしてね。
好きだから斬るものと、
好きじゃないから斬るやつと、
わかりにくいよね?
好きで嫉妬して殺すのと、
制裁の為に死刑にするのと、
わかりにくいよね?
私の気持ち、わかるかなぁ?

排泄物は土にかえったり、植物や糞を食べる生物や微生物なんかに栄養として食べられる事や分解によって浄化されるんだ。
説明が足りなかったね。」

と心の中で思った。

介護職や看護職だと、やっぱり排泄物と排泄したひとを清潔に戻す処理方法に精通しているはず。

しかし排泄物そのものの気持ちを考えると、植物の栄養、土の栄養になる事の方が幸福なんだろうか?

剃ってるヒゲや脇毛や眉毛や無駄毛の気持ちってわかる?
私は毛深いから剃ってる毛の気持ちはわからない。
むしろ
「髪の毛とまつげと眉毛の他の体毛」が、
何故私に拘って居座っているのかわからない。
ハゲになると、抜けてく髪の毛達の気持ちに気付くかもね。
それとも「そこには居たくないから」抜け落ちるのか…。

害草が生える事はエロヒームの呪いの1つなんだよ。
無駄毛も感覚的には害草と同じ。

地球には毛を食ってる害虫もいる訳で。
害虫でなければ素晴らしい循環する訳でね。

カビゴンみたいにイバラやアザミや害草を食べる生物が居たら問題ないのかも。
それが屠られる生物だからね…。


断食の話に戻るけど、
仏陀も波羅門と一緒に断食修行したけど、波羅門が仏陀を「勘違いして批判」していたのは、
何を食べても神通力が損なわれると勘違いしている点が勘違い。
断食する意味は、動物性の食品を身体の中に入れてると神通力が損なわれると勘違いしているひと達の思想なんだ。
実際には植物も生物なんだ。植物性なら植物を殺している。
仏陀スジャータの差し出した乳粥(乳は動物性で、粥のお米は植物性。植物を殺した植物の死骸。)を飲んだ後に、悟りを開いている。

仏教の教えは、「拘りや未練の諦めさせ方」にある。

神通力(奇跡)は、
何かをしない事を続けている事、
何かをする事を続けている事、
によって使える。

仏教は「そういう拘りを棄てさせる事によって救う」という考え方。

考え方によったら余計なお世話かもしれない。
しかし度が過ぎると、はたに迷惑になる可能性があるから、仏教側は拘り処理班がいるはず。

宗派やお経やお経を唱える事や仏像や曼荼羅曼陀羅や印やシーラ(戒)や独自の拘りに拘るのは仏教的ではないのだ。

神通力(奇跡)は、
「私はこれを続けているぞ」という自信の確信によって使えるのだ。
幻聴「そうです」

毎日お祈りや読経を続けているとか、
何かを食べない事を続けているとか。
~禁とか、断食とか。
しかし毎日食べてない食品なんていくらでもあるんだ。
もっと効果のある自信は、
好きな事や拘っていた、良くない習慣を禁じて堰き止めて置く間。
「ヘビースモーカーが自分の意思でタバコを止める事が出来ている自信」とか、
「酒好きが自分の意思で酒を飲むのを止める事が出来ている自信」とか。
我慢が身体に良ければの話だが。
自分がタバコに負けていない、
自分が酒に負けていない、
とかという
「確かに禁煙や断酒をやってる」という自信は、
「確かに毎日お祈りしてる」とか、
「確かに毎日読経している」とかと、
確信においては同じこころざしなのだ。

それらを精進している間も神通力が使えるが、
精進下ろしのカタルシスによってもそのとき限定の神通力が使える。
精進下ろしで、空虚感が残るか、充実感が残るかは、私はどっちかは知らない。

日本人は「毎日仕事を続けている」という仕事人間の自信を持ち過ぎてきた為に、リストラされると空虚になったり鬱になったり。
むしろ
「辞めさせられた仕事を辞めている状態を続ける事が出来ている」
という自信に切り替えてもいい話だ。