fatimariaの日記

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かあさんが死にました。

かあさんが死にました。

最初の胃の全摘出が2010年3月11日。
7年弱。
とうじ5年生存率が50%だった。

昨日(2月20日)の夜、
23:08頃瞳孔が開き、
23:24に従姉妹のフィアンセのお医者さんが、死亡を確認しました。
0:00過ぎた今日(明日に変更)は友引なのでおつうや、明日(友引のおつうやを避けるので)明後日お葬式となります。
家族(親戚)葬で、お別れ会はまた考えるそうです。

私の最後の言葉は、
「かあさんありがとう!(今まで育ててくれて!)」かあさんは死ぬ前は呼吸が苦しそうだったけど、死に顔は苦しそうではなかった。

かあさんとの最後の会話は、数日前、

かあさん「お前まるっきり僕(しもべ)やないか。」
私「何かご不満でも?」
かあさん「いや…(別に)。」

私は、かあさんやお世話になってる伯母さんや従姉妹の為に、何か出来る事はないかと、言われるがままに頑張っていたんだけど、かあさんには私がしもべ状態みたいに見えていたらしい。
でもそれは病床のかあさんを中心にした忙しさだったから、私は苦にはならなかった。
ポケモンgoもしてたけどね。


はぁ…かあさんと、たわいもない事を、もう何も話せない。
今後、話す相手が居なくなった。
とうさんくらいかな?
私には妻も子も息子も娘も居ないし、
猫は喋っても何言ってるかわからないし。

通販などの宝石、花、きれいな服、きれいな作品、
もうそんな話も出来ない。

これから…どうすればいいのだろう?
みんな、数え切れないみんな、自分の親が死んだとき、どうやって心の処理をしたのだろう?

私はひとの死にたちあったのははじめてだから、わからない。

ニュースに出るひと達だってみんなそれぞれのドラマや紆余曲折があって、そして初めてニュースになる。
ニュースにはならない普通のひとの死の、舞台裏を今感じている。

かあさんは戦争を知らずに育った、戦争を知らずに死んでいく、戦争を知らない子供達のひとり。

かあさんがずっと幸福な死後を過ごせたらいいなと思う。
私はかあさんと宗教が異なるので、
私自身は、何も感じないところに行くだろうと思う。

私にとっては、かあさんは大き過ぎるので、
多分一生かかっても越えられないひとだとずっと思ってきた。今もそう思う。
身長とかの話じゃないよ?

惜しいひとを亡くした…。

以前飼ってた長毛白猫のミルクと、あの世で再会しているだろうか?
ミルクはかあさんにべったりの猫だったから。