fatimariaの日記

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雑談。

維新が負けたから、
 
医士さん、
看護士さん、
薬剤士さん、
東京じゃなくて、江戸、
山口じゃなくて、長門
徳島じゃなくて、阿波(あは。卍の蜂須賀小六。)、
などなど、
だね。
 
狸の徳川の葵(あおい。土性)がトップの、「侍ジャパン」だ。
 
「侍(さむらい。ハベル)」はカーストみたいな「差別制度」なんだ。
士農工商の、農工商と部落階級が「侍ジャパン」っておかしいし。 
 
 
私は、iPhone C(射手座) のCMで、「その色があなたの色です。」
って言われて、
 
私のiPhoneは黒で(背面が、銀色、あるいは、灰色もあるけど。)、私は男性だから、
女性のビナーでもなく、
子供のティフエレト(ラハニーム)でもなく、
女性のホドでもなく、
敗北の北の玄(赤黒い色。かすかなものを覆う事。→くらい。よく見えない。 クリシュナ。)の水星でもなく、
黒(ネロ。サウロ。シェオル。墓。しおり。さおり。カーラ。カーリー。)。つまり、
漆黒(ジャパン。Ja pan。)。
 
(アダルトゲーム「VIPER RSR」参照。)
(大黒柱、そして、玄関、玄室、は何処か?)
(うちはホーム(ホームベースもホーム)じゃなくてハウス(室)で建てたけどね。)
コナミのゲーム「キャッスルバニア暁月の円舞曲」「悪魔城ドラキュラ蒼月の十字架」のサウンドトラックに、「漆黒の太陽(日食)」や、「漆黒の進攻」の曲名あり。)
(「悪魔城ドラキュラ ギャラリーオブラビリンス」では、「見上げよ、闇を」という曲がある。新月の夜、見上げた空は、また、宇宙は、何色?)
 
敗戦国だよね。ジャパンは。黒星スタートの戦後日本。
黒船とか、
BK(馬鹿)。
 
そういえば、アフラックのCMに黒い鳥出てたなぁ。漆黒?
 
 
別に私は汚れ目がたたないから持ち物を「黒、白、銀」に決めてるだけなんだけどね。
 
車とか、銀にしておくと、埃も傷も目立たないし(買った当時、銀のiPhoneは無かった。)、
黒っぽい服にしておけば、汚れてもわかんないし。
(はじめての勤務が血を扱う勤務だったので、血がついても平気な服→黒い服。)
白は、黒地と合わせるとコントラストが効くからね。
 
服などが目立てば、化粧失敗してようが、しわが増えてようが、目立つ服とかしか印象に残らないでしょ。
っていう風な事を、たまたまテレビに出てた豹の服着てた大阪のおばちゃんが言ってたよ。
 
私が普段着てるのはジャージじゃなくてイージーパンツなんだよね。
きれいなデザインならジャージもいいよね。何も考えなくても、それさえ着ていればそこら辺も行けるし、そのまま寝られるし。
 
私は肌の色が黒黄色いから、黄色い服が似合うらしいけどね。黒は似合わないかもだね。
似合うか似合わないかで服を決めてないからね。普段着が作業着やジャージみたいな扱いだから。
 
看護士さんの卵(研修生)が病院来てて、
72.5kgの私に、
「スリムですね。」
とか言ってたけど、明らかに私の腹ポヨンポヨンなんだよね。
私はそれについて、「膨張色じゃないからそう見えるだけじゃないのかな?」みたいな事を言った。
現在75kg。また布袋さんみたいな腹になってるよ。
 
パン・ゲアは、パン・ガイア(パン・ゲー。すべてのジオ。すべての大地)だからね。
それがバラバラになって、今の大地があるんでしょ。
 
恥じらいのあった頃が青春だよね。
ひげや陰毛の生える今更、青春とか言ってられないしね。精神年齢は低いけどね。
え・ら・そうな~ひげの(生える)大人も~。歌ってる男性もひげ生えるから。
 
 
 
どんな文書や言葉などであろうと、
「同意する事」は本意ではない。意の本体ではないのだ。つまり臆の意でもないわけだ。
これが正式文だ。
 
「同意しろ」って、
「他にんの考えだした考え」じゃんか。どんなにいい案でも、不本意だよ。
「私の考え」じゃないもの。
アップル社とか、どこが変わったのかどうでもいい更新の度に、あんな長い文、いちいち読んでられるかっての。
パワハラみたいなもんだ。
「読めるもんなら読んでみろ!」みたいな同意書。どこら辺がお客様の視点にたっているだろう。
 
私なんかは、長々長々、自分の見聞きした事、頭に浮かんだ事などを透明に書いてたって、
私「私を信じなくていい。自分の信じたいものを信じたらいい。」
と、一切拘束してない。
下らない文や駄文だと思うなら、読まなきゃいい。とも書いてるでしょ。
誰でも、自分を大事にしてくれるもの、自分を価値あるものとしてくれるものを、受け入れるんじゃないかな?
自分を、どーでもいい とか、利用価値や価値無しぐらいにしか思ってないものを、受け入れたって、損するだけなんだ。
 
私を、価値無しあるいは利用価値ぐらいに思っているもの達に、どんな評価されたって、
価値無しあるいは利用価値という評価でしょ。
そんな評価内容なんか、どーでもいいでしょ。
大事にしている、とか、(唯一希少価値、希少価値、価値、を含む、)価値あるものとしている とか、してないんだから。
改善の余地があるクレームなら、いい教訓にもなるかもだけど。
傷ついた事や、中傷などなんて、大事に抱えておく必要など無いんだ。流れのままに流せばいい。
もっと大事にすべき事がそれぞれにあるんだ。
 
 
重要:
悪口を言うものと、悪口を言われるものと、どちらが悪い?
 
 
本意じゃない→文書にどう書いてあろうが、本意で同意してない。
どんなに賢くても、「やり方が無理矢理じゃ結局無理」だって事がわかるかな?
わからなくても私は常に不本意に同意してるしね。
 
 
望むもの、望む事、は、数え切れないくらいある。
その都度、必要なもの、その都度、望み、求めるもの、求める事、がある。
願い事じゃないんだ。
人間達が神々であったとしても、人間達に「お願いします。」とかいうのは、願い事じゃないんだ。
ロザリオの祈りは、日ごとの糧についても祈る。
日ごとの糧が必要な事ぐらい知っていて、与えるのは、父なる神なんだ。
食べさせる事に決めた者とか、料理を運んでくる者とか、食べさせる者とかではなく。
与えないのは、神々ではないよね。
 
最近の私の場合、口まで運んで食べさせるか食べさせないかではなくて、
 
私の今回の「徳島県立中央病院の精神科」に入院の場合、
 
私の両手両足と胴を拘束した状態で、
看護師さん「食べといてよー。」と料理を置いて行ってしまった。
食べられるかよ!っての。
 
とか、
そのあと暗くなってから、
2回目に私に座薬入れた男性看護師さん(1回目に座薬入れたのは女性看護師さん。前立腺さわる事まで奪われた。)が、手の拘束を解いて食べさせてくれても、全部食べないうちに男性看護師さんは料理をさげてしまった。
全部きっちり食べるまで待ってくれれば、全部食べる事ができるのにね。
 
とか、
両手両足を拘束した状態で、両手だけでも拘束を解けば自分で食べられるのに、
女性看護師さんが、口に運んで食べさせた。
看護師さん「グリンピース(緑の平和)が落ちてしもうたーー。」
食べさせるのが不快なら、両手だけでも拘束を解けばいいのに。
私は両足と胴も拘束されていたから、どうせ逃げられないんだから。
 
入院中いろいろありました。
そういう精神科です。
もちろん看護師さん達は表向きはきっちり仕事をこなしていました。
お陰で肝機能も治りました。
でも看護師さんは陰で様々な患者を嘲笑っていました。
精神科なのに、精神衛生上よくない環境ではありました。
そういう精神科はまだ多いのかも。
外部には表しか伝わらない。
 
誠心誠意仕事してる看護師さんもいたのに、それを台無しにする看護師さんもいたわけです。
 
精神病患者のみなさん、
薬をきちんと飲んで、合わない薬なら変薬して、
入院しないようにしましょう。
拘束されておむつを穿かされて、看護師さんに汚れた尻を洗われるような目にあわされないように。
縛る(拘束する)のは虐待だからね。
 
 
私は人間達を嫌いになりたくなくて、人間達を信用したくて、人間達を信頼したくて、我慢しているのに、
人間達の言動によって、人間達を好きじゃなくなるんだ。
 
 
入院前、蔵本まで私を運んで来たとうさん「中央病院と市民病院、どっちがいい?」
 
のちの日のとうさん「徳島大学病院には精神科が無いからな。中央病院か市民病院でないと。」
徳島大学病院には精神科神経科があります。
 
さらにのちの日のとうさん「市民病院には精神科は無いから。徳島大学か中央病院でないと。」
徳島市民病院には、心療内科・精神科があります。
 
とうさんは中央病院に預けていたかったらしい。
 
 
入院中、
隣はシャワールームとトイレだった。
のちに4にん部屋に移されたけど、
(631号個室は人工幻聴の音響室。そこから出ると、あら不思議、今まで聞こえていた幻聴が聞こえなくなった。)
4にん部屋のベッドの向きから言うと、隣のベッドは窓際のベッド、となりの部屋はトイレだった。
「隣の病室」とか思っていた病室も、ベッドの向きから考えると、隣ではなかった。
 
 
私の隣に他の患者が座っているのを看護師さんは嘲笑っていたが、
 
右に座す(息子)、左に座す(妻)、
は、「聖書に基づいた法則性ではない」と思われる。
横に誰が座ろうが、気に病む内容ではない。
 
父なる神が座す姿は、正典では多分、新約聖書ヨハネの黙示録(啓示)だけだと思われる。
そこにも、左、右、は書かれていない。
王妃の座や女王の座、息子の座、など、はじめから無いのだ。
 
キリストは、右に羊、左に山羊、で、山羊を悪いもの、と、罪に定めている。
磔刑のとき、イエスと一緒に磔刑された左右には、
片方が悪いように書いてあるルカ福音書と、
両方ののしったと書いてあるマタイ福音書、マルコ福音書と、
いろいろ種類ある。
ルカ福音書は、パラダイスについて書いてある。
その福音書のどちらが正しいか、ではなく、両方正典なんだ。
これを国々の立場に置きかえてみるとどうだろうか?
(前回上記書き込みに間違えた点がありました。お詫び申し上げます。修正しておきました。)
 
 
鳥は、
右翼だけで飛べるかって、飛べない。
左翼だけで飛べるかって、飛べない。
右翼も左翼もあるから、飛べるんだ。
天使や悪魔や死んだものなどは翼で飛ぶわけじゃないと思うけどね。
私も、右手に翼があったって、左手に翼が無いから、翼では飛べないはずだ。
眠っているときの夢の中では、レールの上を浮遊して(飛んで)たけど。
レールにいくつ欠陥があろうが、レールの上を浮遊して進んでいる運命である私には関係ないのだ。脱線するわけでなし。
レールは一方通行。
 
レールに触って走っているから、障るんだ。支障や故障や脱線が起こるんだ。
 
 
 
9月7日の私「殺される~っ!」
まあ看護師さんは数が多かったし、私は合法的には病院から出られなかった。
戸籍上のとうさんとかあさんも合意の上で私を抹消とか病院側はできただろう。
しかし私は生物学的には生きている。
 
今、幻聴はまったくと言っていい程聞こえない。
音響室の631号室は荒療治なのだ。
幻覚の妄想をさらに激しくして、執着をすべて棄てさせて治療とする。
依存が心の流れ(思い)を塞き止めているので、しんどいし、障るし、ひとびとのいじめが集まってくるのだ。
 
常に律法や掟や信念などを持っていなくても、保っていなくても、
 
その都度オーダーメイドに建てたらいいんだ。
 
つじつま合わなくて建てられなくて嘲笑われても、
「心の中」で、
風が吹いていても、雨ざらしだったとしても、濡れている不快感など無いし、風邪もひかない。
聖書に書かれている事なんて、信者は何一つ守る必要は無いんだよ。守ってもいいし。
どうせ守って(塞き止めて)いるものによって守る事ができなくなるんだから。
 
律法や掟などは、流れるだろう。
流れを塞き止めているから、様々なものがそれにひっかかってさらに重くなる。
全部流してしまえばいい。楽になるよ。
誰もとどめ置いておく事などできないだろう。
 
多く持っているものはさらに与えられる。
つまづきの石にこだわっているから、さらにつまづくんだ。
つまづいて転んでも、「常に進んでいるもの」には「どこでどう つまづいたか」など、どうでもいい事だ。
話のネタ、お世話になるだけだ。
 
「あとから来るものの為に舗装しておいてあげよう」というような事を考えてる奇特なひと達がいるから、のちのひと達がつまづかないのであって。
 
真面目なひと達は真剣に悩むから、傷つくんだ。損な性格だ。
 
ひとびとの為に正直に(、よかれと思って)動いた兄のプロメテウスは地獄に行き、ヘラクレスに助けられるまで苦しみ、
自分の為に素直に動いた弟のエピメテウスは地獄に行かずに、美しいパンドラと結婚し、結婚生活をおくっている。
それがプロローグとエピローグだ。
 
PRはヘラクレスが助けるまで、ハゲ鷹(たか)に肝臓をついばまれ、苦しめられた。
PRが人間に「火(PR)」をプレゼントしたからだ。
結婚するのはPR(プロ)じゃないんだ。EP(エピ)なんだよね。
 
蛇のように賢く、鳩のように素直であれ。キリストの言葉だ。
正直じゃない。素直であれ。
蛇は「裁き(法。ダン。ディーン。)」なのだ。
 
「直(なお)」とは、
「綾(あや)」=「曲(まが)」=「神(かみ)」の対義語だ。
人間は真っ直ぐだが、神は曲がっているのだ。
これは長老の体がくの字に曲がっている事や、お辞儀(礼)をするとき曲がっている事、などが含まれる。
素直や正直は神の業ではない。人間のものだ。
 
頭を下げる事を嫌がっているひとは、覚えておいたらいい。
深くお辞儀をしているとき、あなたは神なのだ。
 
 
パンドラは神々から箱をプレゼントされた者だ。
神々はパンドラとエピメテウスの結婚を祝福した。しかし神々は裏ではほくそ笑んでいただろう。
腹黒い理由はひとつ。パンドラが箱を開けるのを待っていたのだ。
~するな。と言われると、したくなるのが人間のサガ。
最初の人間の女性から、それは受け継がれている。
エロスに愛された王女プシュケーも、同じように化粧箱を開けてしまう。
パンドラの箱に入っていたものは、すでに出て、世の中にはびこっているのだ。
その直撃を、パンドラは受けたはず。
パンドラとエピメテウスは、最初に箱の中身を受けたものなのだ。
プロメテウスが、神々の仕業に気をつけろと、警告したにもかかわらずだ。 
 
人間は結婚する前から、神々に負けているのだ。
パンドラは神々が用意した女性なのだから。
 
パンドラの箱には希望が残されている。
何故神々がプレゼントした箱に、「希望」が入っていたのだろう?
それは、人間が苦しみによって、神々を崇める事により、神々への信仰心が高められるという計画もあったのだろう。
信仰心という見返りを求める神々を支えにしていてもね。
 
でも結婚したひと達は、自分達夫婦に、「希望」が残されているという事を噛みしめたらいいよ。 
 
 
キリストのくびきは軽い。
ひとびとの嘲笑いが、人間との摩擦多く、重くしているように感じているだけだ。
 
いちいち数え切れない程のトラップにつまづくのは、罪のゆるしを信じてない、弱い状態の者だ。
631号室の幻聴やひとびとのいじめの猛攻は、人間を信用させなくする。
 
 
何かを支えにしても、支えを奪われる。
 
私はその事に気付いていたので、
心の中で、いろいろ理由をつけて、看護師さん達など、誰に依存する事も、心の中で拒んだ。
1+1-1=1  =  1=1
0+1-1=0  =  0=0
これに気付いていたから、病院内で誰かを欲しいと思わなかった。
人間をみんな疑った。
そもそも「結局は貰えないものに依存」したって、惜しかったなっ と言われる原因を作るだけなのだ。
全然惜しいトコまで行ってない。病院に居たのだから。
誰も、私も、惜しくないよ。
看護師さん側は私の最弱な姿を見聞きできて、いい気味だろうし、
私も幻聴が聞こえなくなって、やれやれなのだ。
 
私が、まだ恥じらいのある若い頃なら、「見られて恥ずかしい。死にたい。」とか思うかもだけど、
すっぽんぽんを録画されてようが、
おむつ姿を録画されてようが、
布袋みたいな腹を録画されてようが、
男性がこの歳になると、どーでもいいんだよね。
どうせ法律で猥褻物は発表できないだろうし。
サトラレなら発表しなくても見えてるわけだし。
 
食事とか排泄とか、生理的に必要な事は必要だけどね。
 
私は戸籍上のとうさんかあさんも棄てていた。
しかし退院するには戸籍上のとうさんかあさんの合意がないと退院できなかったので、退院したい事は告げた。