fatimariaの日記

誰からもコメント無いのでコメント停止しました。連絡はメールで。

いろんな作品についての考えとか。

私は思うんだけど、
奇跡を起こせるエネルギーってのは、奇跡を起こすものの支持者(ひっかかってるもの)の数で決まるんじゃないのかな?
なので私には今気力がほとんどないんだよ。
 
で、
支持者(ひっかかってるもの)の質が悪ければ、災害、事件、事故、近くのものの失敗が起こると思うんだよ。
私は今まさにそれだね。どんなに質のいいものが揃ってても、
質の悪いものが負荷をかけたら、
やっぱり、全部、災害、事件、事故、近くのものの失敗を起こす、エネルギーになっちゃうんだよ。
これは「NHKのニュースが実際に起こってる事だとした上では」、の説ね。
NHKのニュースが実際に起こってる事だとした上では」の、私の見てきた経験則ではね。
NHKのニュース見てたら、近いか遠いかあんまり関係ない。世界各地で起こってるから。
 
NHKはこれを見て、嘘臭く報道する事もできるんだけど、
もう放送してても報道が信用されなくなる っていう高いリスクがある。
 
私にだけ嘘臭く報道しても、どんな感じにやりとり、取り繕う、しても、
サトるものである支持者はそれを、一部始終を全部聞いてるわけだしね。
私がNHKのニュース見てたら、ニュースは筒抜け。
でも本来テレビ放送はそういったものでしょう?
NHKが四苦八苦してるのは、
私のエロ小説は18禁なのに、18禁の具体的な場面は日本ではNHKは放送できない事なんだよ。
これはジブリも、京都アニメーションも、同じだと思う。
まあアニメやゲームには、私の小説に迫ってる18禁作品はいっぱいあるけどね。
 
だいたい私は小説書いた当時は小説の主人公に似てたけど、「もうええ!」
今、ボヨーン、デブーン、ってなっちゃってるから、今発表状態になっても、読み返してても、深く思い入れできないんだよね。
てゆーか、もう、疲れて長い文章読んでられない。
「なんか象徴が性欲が萎える感じにごちゃごちゃ書いてあるな」っていう印象だ。
なんでこんなめちゃくちゃな事になってるんだ。
幻聴が邪魔したからでしょうが。文章内容を指示したからでしょうが。
なんで幻聴に合わせなきゃいけないんだよ。私の個人的な小説なのに。
内容をいくらでも改竄できるけど、私は私の小説のままで「いい」と思うんだけどね。細かい設定ミスは読み取れるけどね。
 
なんか…私みたいな優しい男性多いんじゃないかな?と、私は勝手に思うんだよね。
でも私に近づいてきたものの多くの言動で感じるのは、みんな、逞しい、厚かましい、なあ、って事なんだよね。
みんな欲望で、心の根幹の部分の理性を失っている。
私の小説のデータを無理矢理手に入れたって、私や小説のキャラクターは逆に手に入らない。
 
私の小説は流れは無理矢理の部分もあるけど、 はっきりと「和姦を貫いている」。
没シナリオも没にはしたけど夫婦間の和姦にしてある。
不思議だったんだよ。
何故私好みの最初から最後まで和姦の作品が少ないんだろう?って。
作品群には、好きじゃない相手にツンデレして落ちて行く作品が非常に多い。
何故好かれてない事が前提なの?
それは自信のない表れなんだよ。
作品っていうのは、精神科でも絵を描かされたりするみたいに、作品を作ったひとの精神状態を鏡のように映す為、精神病で混乱した言葉をふむふむ聞き入るよりも、百聞は一見にしかずだったりする。
 
つまり、あの小説が、書いた当時の私の心理状態を、鏡のように表していたんだよ。
何を求めていて(重要視していて)、どんな事をされ、どんな方向に向かいたいのか、トカいうの。
今、書けないはずだ。こんな生活してて。
私は身体的にも精神的にも当時とは違う。
エネルギーも無い。
作品制作者の熱意が盛り上がってないと、作品にエネルギーは吹き込まれない。
 
プロがもしスラスラ書けるのであれば、慣れてるからというのもあるだろうし、もともと書く手順を一番書きやすいようにカスタマイズできるから、というのもあるだろう。
商業芸術作品は、芸術作品よりはるかに数多く書かなくてはならない。
でも時間に焦りながら、悩んで悩んで書くひともいるだろうし。
 
作品が鏡のように映っていたとしても、その姿を見たひとの心理状態は、また、ひとそれぞれなんだよ。
個人的な精神治療には使えるだろうけどね。
 
私は、モテない(女性からお声がかからない)から、現実逃避したんだ。
 
ファンタジーであっても、自分の現実を映し出してしまう。
何故なら、制作者は、自分の知識(取材なりした知識、見聞き、感じた知識、記憶、思い出とか)からしか、作り出せないから。
自分の知識の中のひとは、過去に出会ったひとであったり、そのひとから聞いた事であったりもする。
 
作品を、多くのひとが支持しても、この間の絵画の焼失事件とかみたいに、世の中に残しても、失われる可能性、多くの情報に埋もれてしまって注目される事がなくなる可能性も、多大だ。
 
たとえば、戸籍上のとうさんや、戸籍上のかあさんの年代の作品とかには、私は「興味をなかなか持てない」。
 
実写映画とか、美人さんがもし、出てきても、現在の年齢考えると、「はぁ…。」
ってなる。
女優さんがどんなに貞節な役柄をうまく演じていても、
その女優さんが不倫とかしたら、その映画も汚された って事になる。
 
フィクションだったら、どんなに輝かしくても、発表したらいじられる(汚されたら色褪せる)という、困った事態だ。
 
たとえば私には、
PRやCMや広告や宣伝など(ニュアンスは同じのような気がするけど)と、
俳優や女優や声優なんかが演じている映像や音声と、
バラエティー番組や私生活の紹介なんかの映像や音声と、
全部混ざって見聞きしてるからね。
そんなのいちいち区別してない。
「テレビとかのひと(有名じん)」とかでくくってるから。
どんな作品だったか とか、関係ない。
ひとであったり、衣装であったり、そういうのを区別してたら、作品内容の処理にまで心がまわらないんだよ。
新じんさんが出てくる度に、「あー、歳とったなー。全然知らない。」って思うだけで。思い入れや関連も無いし。
 
だいたいたとえばNHKの朝ドラ(昼もやってるみたいだけど。)のヒロインって、
「いつも私の好みを必ず外してる」から、
「私が象徴を見棄てる事で、NHKは、私から象徴を奪いたい、私から象徴を掠め取りたいんだね。」っていつも思うんだ。
 
私は嫉妬深いから、他の者が混ざった「不純物」なんか要らないよ。
どんなにアピールして来ようが、邪魔者や不純物は排除したくなる。
私は私の作った作品が好きなんだ。
 
ね?どんなに精魂込めて、心を込めて、作ってもよ?
汚すものが、または中傷するものが、1名でもいたら、作品は台無しに、制作者は気分悪く、なるでしょ。
 
フィクションってそんなもんなんだよ。その中傷や汚しを聞いたり見たりしただけで、作品が暗く変わってくるような、
そんな脆弱な媒体なんだ。
 
フィクションだけじゃないよ。
フィクションの、悲劇のオセロー読んで気付くでしょ。
人間ってのは、精神的に支えが弱いから、
努力しないと自分が「正常だ。健康だ」と思う状態を維持できないんだよ。
そして他のものの心無い言動などで、すぐ支えが失われてしまう。
神(天)が支えであるなら、天国は奪い奪われしているんでしょ?
無常なんだったら、「正常」もずっとは保てないって事じゃんか。
じゃあそれぞれの信じたいものを信じたらいいじゃないか。
 
「安心」が得たいの?
「お金」が得たいの?
「食べ物」が得たいの?
「権力」が得たいの?
「異性」が得たいの?
「時間」が得たいの?
 
どれかを得たら他を棄てるかい?
 
「南無」ってどういう意味か知ってる?
 
みんなは「福禄寿(南極老人星イスラム教の教祖ムハンマド。)」を選ぶかい?
私は強制してないよ。私はイスラム教徒じゃないんだし。
「愛車の査定」トカよく出てたよね。
 
自分を自分で支えてるひとがうらやましいよ。
私なんか手相のしるしが無くなったら……つーか、他にいいトコ無しかよ。
 
あーあ…楽しかった事、いろいろあったつもりだったけど、覆いが無くなったんだろうね。色褪せたなぁ。
どうでもよくなった。
規制がいい加減になったんじゃなくて、
他のひとの作品に思い入れしたって、「どうせ裏切ってきたんでしょ。」って思って、阿呆らしくて、
もー、人間達を守るのを止めた止めた。って感じ。
別に敵対するつもりも無いけどね。
 
先達はどれだけ多く悪いパン種(悪いイースト菌)を振り撒いておけるか、競い合ってたんだろうね。
それが自己顕示欲だったんだ。
 
作品群を支持してるみんなは、その「隠してる覆い」がとれてないひとがいるんだよ。
哀れだね。悪いパン種が積もってる。
隠してる覆いが当初から無い私はもっと哀れだ。
 
知らないで老衰で死ぬひとは、精神病にならなかったんだから、哀れじゃないのか。
幻覚感じる事が特別みたいに思ってたらいかんよね。
我々病気のものからすれば、健常者の方が憧れだ。「いいなー…。」って感じだ。
 
私が災害、事件、事故、近くのものの失敗を起こしてる というよりは、
オートクロスカウンターだからね。
私に挑んでくるトカ、私を攻撃しようとしてくるトカ、私に釘刺そうとしてくるトカ、するから、自動で飛ぶんだ。
ニュースが本当なら、だよ?
私は逆に影響を受けてる被害者だ。 
盗聴器みたいにサトラレるなんて、被害者だろ。
 
どうもね、NHKもね、私を脅そうとしてきてるっぽいんだよね。まあ今日が終戦記念日というのがあるんだろうけど。実際におそれるだけの影響力が出てないと、おそれたりしないよね。
そんな、別に困る程の事をしてるつもりは全くないんだけど。
 
寝てるか、ブログで文章書いてるか、テレビ見てるか、猫とじゃれてるか、家の中とか庭とかウロウロしてるか、コンビニとか買い物行くか、戸籍上のとうさんと食事に出かけるか、飲食してるか、排泄してるか、シャワーあびてるか。
そんだけじゃん。
統合失調症で、幻聴がまだ聞こえるから、勤務に踏み切らないだけだよ。
春になって、夏まで、また激しく聞こえるのならば、事実上勤務は無理なんだ。諦めたらいいんだ。
 
石橋を叩いて壊すタイプなんだ。
「どんなに、どんな感じに、どんな方向から、叩いても、壊れない」っていうのが確認できたら、進んだらいいと思ってる。
なので、遅いので、秋茄子(カタツムリ)とか、亀とか、いろいろ言われるんだ。
亀は石橋渡らなくても進めるのか。 まあそれは置いといて。
だいたいが叩いた事によってヒビが入ったりするんだよね。
無かったんだよね。
叩くなりして壊れないかどうか調べた「支え」が、「壊れなかった事」が無かった。
 
 
あ、そういや、お隣さんの田中さんの孫娘さんは、大学の下宿から帰って来てるだけで、「隣に住んでない」と思うよ。お隣さんじゃない。