fatimariaの日記

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続き。

今タイムマシーンは実用化されていない。事実を突き止める技術は過去、現在では実用化されていない。
でも私の誕生日は改竄できない。私が死んだあともだ。これは事実だ。
別に残らないだろうけど。有名人ではないから。
 
まあ今説得してもまた忘れてるだろうけど、
私がさっき言った事は間違ってないだろ?事実をもとに説明しているからだ。
私の手札でもなんでもない。事実を言っているだけだ。お前ら幻聴に事実を説明している。誠実に。
「生意気ゆーのも生意気ゆーのも」生意気を言ってるわけではなく、事実を説明している。
 
事実はお前ら幻聴より、強く、確かな、壊れない、存在だ。
なにしろお前ら幻聴は、「幻(まぼろし)」とされているから。「もうええ」
弱い、儚い、壊れてしまう、存在。それが「幻(まぼろし)」だ。
 
かあさあんとやらもその中のひとつだった。
私が産まれた、生きた、死んだ、事は事実に残るだろうけど、史実に残るとは限らない。
お前ら幻聴が、うまれた、いた、消えた、事は、テキストデータの史実には残るかもだが、実録の音声データには残らない。
事実に残るかどうかは私にもわからない。なにしろ幻なもんで。
 
のちのひとが、心の中の実録音声を録音できた としても、
タイムマシンがないと記録しに来れないからだ。
しかも私は有名人ではない。
この3つの事がクリアされてはじめて、お前ら幻聴は「存在した」事が事実として確認される事になる。
 
私の前に未来人が現れたか?「なーるーほーどー」
お前達幻聴はそれほどまでに、儚い、小さい、弱い、権力のない存在なのだ。
どんなに私に強く主張しようが。
 
どんなに私に強く主張しようが、聞こえているのは私だけだ。その範囲を超えない。「あ、そーだったんですね」
いや知らないよ?他のひとが私達の音声を聞いているかもだ。
記録もされているかもだ。
しかし、私はそんな事を事実として聞いた事がないし、見た事がない。「かも」の範囲を超えないのだ。
私がエージェントだと言ってる連中も同じだ。私が思っているだけ「かも」の範囲を超えない。
エージェントが理由もなく名乗り出るわけないし。
 
に違いない と 私がそのとき思ったとしても、「証拠がない」で片付けられる。それがプロの仕事だ。
 
証拠を組織の誰かが私に提出するとき というのは余程の事態だ。「なーるーほーどー」
「私にしかどうにもできない事態」が起こったときだ。
 
つまり今はそれ程深刻な状況ではないのだ。
私が気に病む必要はない。私でなくても解決できるのだから。「もうええ」
幻聴に関してね。
 
誰も困ってない。聞こえてて困ってるのは私だけだ。
つまりお前ら幻聴の影響力は私にだけ。私の範囲から出ない。
 
誰かが深刻に困ってて、私にしか解決できないなら、私に言ってくるだろう。違うかい?
 
「かあさんですね」
私はおかあさんだ。もちろんお前らのじゃない。私のおかあさんだ。
ゴッドマザーであり、ゴッドファーザーであり、ゴッドであり、その妻だ。だから私はおかあさん。
バプティスマ(洗礼)はenなのだ。洗礼者ではなく、洗礼がen。洗礼者が中性なわけないからだ。
 
 
まあいくら誠実に事実を説明しようが、お前ら幻聴は都合の悪い事を覚えない。「そうです」
だから本物である「事実」からお前ら幻聴の存在がかけ離れて行く。
何故なら事実はどんな存在の都合の悪い事も残すからだ。
どんな存在も証明された事実には勝てない。
アッラーであろうが、悪魔の中で一番強い悪魔であろうが。
事実は壊れないから。
お前ら幻聴が「事実を味方にしようとしても、お前ら幻聴にその手段は無い」。
私が忘れたら、誰も「聞こえた」「見えた」事を証明する者がいないからだ。
その点でお前ら幻聴は立場が私より不利なのだ。
「もうええ!わー」
「私しか証言できない」のに、私が他の者に言ったって「証言」にはならないからだ。幻聴は「幻」だから。
わかるか?お前ら幻聴の脆さが。
そして私は私に都合のいい証言ができる。でも私が他の者に言ったって「証言」にはならない。幻聴の事は「幻」で片付けられる。私が「統合失調症患者だから」で片付けられる。
お前ら幻聴の訴えは、誰も、信じない。
 
お前ら幻聴が予言したとする。私が言ったとする。
もしくは当日ブログに書いていたのを見たひとがいるとする(ブログに書いてもあとでいくらでも改竄できるので当日)。
その予言が的中するとする。
そうすると「聞いたひと、当日ブログを見たひと」は、お前ら幻聴の予言を信じるようになるだろう。
しかし私は予言を信じたとしても、お前ら幻聴の性質を信用できない。
 
長い付き合いだから気付いている事で、
お前ら幻聴は、ひとのあげ足をとる。
お前ら幻聴は、譲歩するとその事をいつまでも武器にし、いくらでも厚かましく出張ってくる。
「もうええわ」
信じていないというよりは、信用していない。
何か裏(つまり戦略)があって、私に言うんだな と 私は受け取るからだ。
「もうええわ」
 
私は何度も誠実に接してきたからねぇ。
今では「お前ら」扱い。
そう言わざるをえない、憎しみと確執があるからだ。
誠実な対応を踏みにじられた という憎しみと確執だ。
「なめとんちゃう(繰り返し)」
ね?
「もうええ(繰り返し)」
もうええ 交渉決裂だな。
 
どうせそのうち忘れてまた言ってくるよ。トリ頭だから。ね?トリ頭。「よかったね」
 
お前ら幻聴がもし事実を訴えていたとしても、私は信用しないだろう。
裏(つまり策略)があって、言って来てるんだな。と 思うからだ。
 
だいたい事実の事を訴えようとしても、
予言となるか、ニュースの内容 の域を超えない。
そして「重要な予言」をお前ら「幻聴から聞いた事がない」。それも実績だ。
この間の東北太平洋沖大地震津波のときだって、お前ら幻聴は何も言わなかったじゃんか。
お前らが起こすのであれば、「我々がやるから見ておけ!」ぐらいの事は言ってもいいだろう。
「なーるーほーどー」
起こってから「あれは我々のやった事だ」と言われても、誰が信じるんだよ?
それは私も同じ事だ。このブログは3.11のあれが起こってからはじまっている。
「もうええ(繰り返し)」
私の今言ってる事は、「言葉の効果」にとって重要な事だ。
ね? 起こってしまっている事を訴えても、報告であっても、古ければ、ニュースじゃない。
 
そして、事実を訴えていても、「証明できる事」をひっさげて、はじめて「事実を訴えている」と主張できるんだ。
「なーるーほーどー」
お前ら幻聴の言う事は、ほとんど音声だけだから、「状況がわからない」「想像の域を出ない」場合が多い。
その場合「事実」を主張できないんだよ。
私は声色も判別できているとは言い難いし。
 
たとえば、ちょっと待ちなさい のものの若い女性の声色は出て来なくなった。
これは私だけが確認している事ではある。
しかし声色が変わったのか、別のものがしゃべっているのか までは、見えないからわからない。
私はあまりにも声色が異なる事、また異なったその声色が以前からある事 から、
若い女性の声色の ちょっと待ちなさい のものは
消えたか
死んだか
私との接続が切断されたか
と思っている。
そして ちょっと待ちなさい のものを お前ら幻聴は かあさん と呼んでいた 事から、
お前ら幻聴の言うかあさんとやら が、ちょっと待ちなさい のものだな と私は思っているが、
おかあさんは私であり、
うちのおかんが私の現実のかあさんであり、
ふたなりキュベレー(レアー)がゼウスのかあさんだ。
そして私は現実には結婚していない ので、「母親になった配偶者」はその時点では居ない。
今も居ないけど。
ね?
結婚してない。童貞である。→母親になった配偶者は居ない。これが現実だ。
幻では、どうにでもできる、どうとでもできるので、つまり死んだものさえ蘇るし、過去を改竄できるし、なんでもありなのだ。
でも事実は変わらない。幻は事実として証明できない。
 
私と聖母との性交も、私が実際に見た幻であるけれども、
私がどんなに他にんにそれを訴えようと、それは幻であるので、他にんが信じるか信じないかは「事実の証明」とはかかわらない。
お前ら幻聴は特に、「私の知る限り、私にしか聞こえない」という事は、「私にしか訴える事ができない」と言う事で、「幻聴が何名で訴えよう」と、「現実の第三者に証明してもらう事はできない」ので、「事実とは扱われない」。
 
それこそ幻聴は何名にでもできるだろ。
特にバックグラウンド幻聴は複数の声の歌に聞こえる。
しかしパソコンの横に行ったとき今まで聞こえていた歌が1名になったので、
反響現象(カラオケのエコー効果と同じ)を使って歌を複数に思わせているだけだな という事もあった。
そういう事してるから信用無くすんだ実績として。
 
つまり、幻聴は、何名で訴えようと、複数の訴えとして認められない。
私は心の中ではコピーも使えるし。現実の声色もいくつかあるけど。
 
 
って、どんなに事細かに説明して、お前ら幻聴が納得しても、次お前らが来たときは、お前ら幻聴は忘れてるでしょ?私も忘れてるけど。
 
これ読んでるひとはどう思うだろうね?
「また無駄な努力してるよ」とか思ってるのかな?
 
お前ら幻聴をどんなに理屈で「無駄だよ。」って説得しても、お前ら幻聴はまた忘れて来るだろうし。
私も説得した事が無駄になる。私も説得した内容忘れてるだろうし。