fatimariaの日記

誰からもコメント無いのでコメント停止しました。連絡はメールで。

惜しかったね。遅かったね。

では、
「惜しかった」=「うれしい」
「遅かった」=「うれしい」
事って何かあるかな?
「惜しかった」というのは、「もう少しで手が届きそうだった」という事だ。「そうです」
私にしては惜しかった事が凄く名誉な事であればいいんじゃないか?「そうです」
YHWH・エロヒームにも届いた私だ。「そうです そうです(繰り返し)」
他に名誉な事って…?
「この世界」そのものとまで証明された私だ。この世界にそれ以上に惜しくて名誉な事が何かあるか?
「もうええ(繰り返し)」
 
惜しかった って事は、ある程度のレベルに達したと私が認められる事でないと私はまた悩んでしまう。
 
"遅くてラッキー"でググってみた。
 
スタート時間が遅くてラッキー
 
年齢重ねると「誕生日が遅くてラッキー
 
僕のところは11日から学校が始まります!!
他のとこよりちょっと遅くてラッキーって感じです
 
私は生理痛が酷かったので(生理が)遅くてラッキー
 
帰りが遅くてラッキー
 
交代遅くてラッキー
 
今年は日にちが遅くてラッキー
 
集合時間が遅くてラッキー
 
日本は発売が 1ヶ月遅くてラッキー
 
今年は花粉が遅くてラッキー
 
今 シーズンは初雪が遅くてラッキー
 
つまり、早いと困る、長いと困る、事が、「遅かった」ら、「うれしい」のだ。
だいたいが「遅くて長く暇を取れる」「遅くて快適な時間が長く取れる」などだ。
つまり厄介な事が「遅かった」ら「うれしい」のだ。「そうです」
 
「遅かったね」は、「厄介事が遅かったね」。なら「うれしい」わけだ。
 
しかし、
"惜しくてラッキー"は無かったね。YAHOOでも意味合い的に"惜しくてラッキー"は無かった。
"惜しくてうれしい"も無かった。
やはり「惜しい」というのは幸運や喜び事ではないらしい。
う~~ん…これは…。
 
惜しかったね というのは 心残りだね という事なのだ。
心に、過去に、記憶に、「残念が」残るね、って言ってるんだ。
残念だったね というのと意味合いは同じようなものだ。
この「残念」「惜しい」は「モヤモヤしたマイナスイメージ」で、これが過去や心に残るねって言っている。それが不快なんだ。私が過去だから。
つまりモヤモヤしたすっきりしない「処理できないゴミが残るね」って、言っているのだ。
私はこれをすっきりさせたくなるのだ。
 
これは、磯野キリコが言っていた、失恋のたとえ、「爪についた血のかさぶた」だね。
爪が伸びると、やがて気になっていた血のかさぶたは指の部分を越えて、切り取れる部分になる。そして切り取ると何も無かったかのようになる。
 
これを「惜しかったね」にあてはめると、
「時間(土星)が解決してくれるよ」
Time will solve.
という事になる。
 
時間は堅実な歩みを行う。確実に進む事が約束されている。
そうだ。「惜しかった事は時間が解決してくれる」のだ。
老人には使えない言葉だが、時間があるものには時間が味方してくれるのだ。「凄い!」
 
「過ぎ去らない間」は、その「惜しさ」「残念さ」「悔しさ」が気になるが、
「過ぎ去ってしまえば」、その「惜しさ」「残念さ」「悔しさ」は「いい思い出」に変化する。
それが過去だ。過ぎ去った事だから「過去」だ。
 
私は過去が上塗りされるんじゃないかと考えていたが、
「惜しかった」という「残念さ、悔しさを持っている」のはまだ「現在」であり、「過去」には持ち込まない。
「なーるーほーどー」
過去に惜しかった事がある なら → 現在は惜しくない
「なーるーほどー」
人間は現在しか感じられない。過去を思い出しているのも現在の自分だ。
惜しかった?
 
惜しかった → 過去が惜しがっている?(三人称視点で苦痛無し。)
「ちょと待ちなさい っても待ちなさい っても」「なめとう」舌?私はこの世界?「なーるーほどーなーるーほどー」
 
どちらにしても 現在の自分が「惜しい気持ち」を持っていなければ、惜しかったね と言われて苦痛を感じる事は無いはずなんだ。「ああ惜しかったね」
つまり私は何か惜しかった と思っている(失敗があったと思っている)から障るのだ。「だからいったのに」
 
生きていれば失敗ぐらい山程ある。人間は七転び八起きだ。人間は失敗して成長する生き物だ。
「振り向く」→「過去が味方してくれるならうれしい」
「振り向かない」→「過去が味方してくれないなら未来へ進むだろう」
 
「惜しかったね」「遅かったね」は、過去にあるマイナスイメージへ視線を向けさせる言葉。
「楽しかったね」「気持ちよかったね」「よかったね」は過去にあるプラスイメージへ視線を向けさせる言葉。
前者が過去が味方してくれない言葉で、後者が過去が味方してくれる言葉だ。
 
前者はマイナスイメージの落とし穴を作っておいてから、そこに導く言葉なのだ。
後者はプラスイメージを置いてからそこに導く言葉なのだ。
前者は未来を見ればいいわけで、後者は過去を思い出して振り向いてもいいわけだ。
つまり
「惜しかったね」「遅かったね」には、プラスイメージの未来や現在をさらに置いてやればいいのだ。そうすれば時間軸的自動的に過去は塗り替えられる。
 
具体的には
「惜しかったけどもっといい状況だよ」
「遅かったけどもっといい状況だよ」
この為には「今」が幸福な状態である必要がある。
ではこうしたらどうだろう?
「惜しかったけどもっといい状況になる」
「遅かったけどもっといい状況になる」
「未来」が幸福な状態にしてやればいいのだ。
「未来」の事など我々の今(現在)からはなんとでも言える。
 
これを付け加えればいい
「もっとよくなるだろう」
 
「惜しかったね もっとよくなるだろう」
「遅かったね もっとよくなるだろう」
これは人間の成長の姿(努力する姿)そのものだ。
 
これはかなりの決定打だ。
「惜しかったね」のもの、
「遅かったね」のもの、
共に敗れたり。
 
記念すべき日だ。
過去形にはプラスイメージ未来形で言えばいいのか。
 
「何を言っても(繰り返し)」
何を言っても「うれしいのか?」(を付け加える)
じゃあ何を言ってもいいよね。
なんべんゆーても でも言えるよね。「もうええ」
なんべんゆーてもうれしいのか?
生意気ゆーても うれしいのか?
ね?ても系への特攻だ。
 
「なんべんゆーたら」
うーん、たら系には…。
「言うと~」って事だよね。そのあとには何かリアクションが待っているわけだ。
言うと起こすリアクション、
喜怒哀楽
なんべんゆーたら
よろこぶ?
怒る?
哀しむ?
楽しむ?
なんべんゆーたらよろこぶ?
なんべんゆーたら怒る? だと、怒らないからやきもきしてるみたいでおかしいね。
~する っていう「動詞」を付け加えたらいいんだ。
なんべんゆーたら踊る? とか、
なんべんゆーたら食べる? とか、偏食してるみたいでおかしい。
 
「なんべんゆーても」
これにはても系でもうれしいのか?は使えない。
「踊る」でいいんじゃないか?
なんべんゆーても踊る
「在り難う御座いました(繰り返し)」私にその言葉はもう効かないぞ。「辞めた方がいい」お前らが祭り上げたくせに。なめとんちゃうんか ってね。私がこの世界?
 
「何を聞いても何を聞いても」「わからないらしいわからないらしい」(繰り返し)
お前らの事はよくわからんな。どうもあげ足取りたい事は気付くけどね。
わからないらしい か。
わからない 理解できない
らしい 根拠や理由のある推定を表す。~の様子だ。~の風だ。~のようだ。みたいだ。~感じがする。~のように思われる。だろう。推量、不確実な判断。
つまり、わからないかわかるかはわからないらしい。
私が理解しているか理解していないかどうかは「わからないらしい」のものにはわからないのだ。
「無駄な性格(繰り返し)」私の格のひとつが「無(シヴァ神)」であると言いたいのか?
 
「あらそーだったんですね」さあ?どうだろう?
 
「ちょっと待ってほしい(繰り返し)」お前らだって待たなかったじゃん。「もうええ」もうええんだろ?
「ちょっと待ってほしい(繰り返し)」
新バージョンだな。