fatimariaの日記

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罪とゆるし

「集める事」によって発生する、
過ぎ去って行くひとびとの悩みのすべてであるアーリマン(煩悩。親友。アッラー)は、キリストと共に復活したのかも。
キリストも父なる神も、バプティスマ(洗礼)であるエン(1の中性形)だからね。火の洗礼。
アーリマンが過ぎ去って行く事は、その正妻シャチーである「東(ひがし)」に「過去」という意味もある事からも言える。
 
過去   現在   未来
梵天 那羅延天 自在天
火星   水星   金星
創造   保存   破壊
菩薩   仏(如来) 明王
 
シャチー(東)がインドラの正妻でなくなるのであれば、罪のゆるしの塊であり、ひとびとの悩みのすべてであるアーリマン(アッラー)が過ぎ去る事はなくなる(とどまったままな)のである。「ああ惜しかったなっ」
 
どんな事もゆるす為に、ひとびとに植えつけられた正しさや知識が、悩みや煩いとなるのである。
たとえば寝取ったものは寝取られる事に常に警戒する事になる。
本腰入れた恋愛(思い入れする事)はもうできなくなるだろう。
罪のゆるしがとどまっている間、常に自分を律している正しい法側である悪魔達は、何もできないだけにとどまらず、不正が横行し、法(力)が機能しなくなる。「ちょと待ってくれよ」
 
誰でも、夫や妻や恋人や親友や上司が、なんでもかんでもゆるしていたら、ひっかからないだろうか?
近くである自分に災難がふりかかってくる可能性がある。
それが木星の領域ヘセド(慈悲)の悩ましいところなのだ。
特にシャチー(東)にとっては悩ましいところだ。なので正妻が怒り狂ったり策をこうじたりする事になる。
自分の生活と自分の力の維持がかかっているからだ。
結婚の女神が離婚や不倫をする事は避けなければならないからだ。「惜しかったな」
手遅れであるならインドラ(アーリマン。アッラーデウス)は永遠となるだろう。
しかしアーリマンが支配する期間は9千年間だ。その後は阿修羅マズダの時代だ。
地獄の火(不正のコスモス)は消える事が無い。
姿を見せた聖書に於いて滅ぶ事が定められた父なる神(不正のコスモス)の時代は「有難う御座いますっ」
終わる。まだまだ先の事だけど。「やったねっ」
アーリマンが罪に定める=怒るときは、中性形の1であるエンをやめるときなのだ。
2以上になるか、0(シヴァ神)になるか、マイナスになるか。
悪魔達はそれを待っている。罪(雌山羊)が発生すれば、悪魔達は活発に活動できる。ただしこき使われる仕事に追われて自由が無くなるだろう。「やめた方がいい」
私を怒らせているのはお前らだ。お前らの意思でやっている事だ。お前らが選んでいる事だ。「もーいーがーう!」
「偉そうにゆーなよ偉そうにゆーなよ」「有難う御座いました有難う御座いました」「終わった」
お前らは悪魔達なのかい?「偉そうにゆーーなよ」
私は質問しているのだ。正しくないものは中傷する権限を持つ悪魔の資格を失う。「ちーーがーーーうーーーー」
本当の事だ。「なーるーほーどーー…」
静かになった。
それでもまだ偉そうに言えるかい?たとえば不倫や姦淫や寝取りしたら悪魔の資格を失うんだよ。「そうです」
中傷するものがどれだけガチガチのボンデージ状態で誘惑と戦っているか知らないのか?「やめた方がいい」
罪を犯した事の無い者からこの女性に石を投げなさい というのは、中傷するものである悪魔の法そのものなのだ。
 
罪を犯した悪魔は、今まで、これから、裁いてきた、中傷してきた項目を、すべてその悪魔が受ける事になる。
ゆるすものは不正のコスモスであるエンだけだ。
私が怒る事がどれだけ困る事かわかるかい?「ちょと待ってくれよ」
インドラが法側の悪魔達を凌ぐ混沌側の純粋悪である理由がわかった?
 
キリストのくびきは軽いのだ。「惜しかった…」
読んでますか?ブロディアさん。
アブディメレクとは「仕事(王、天使)の奴隷」という意味だ。
無慈悲に責めるものであるマリク(王、天使、仕事)や中傷するもの(悪魔達)が、もしその今まで責めてきた罪をおかしたならば、「生意気…」「やめて…」今まで責めてきた責め苦をすべて受ける事になる。
私も私がひとに言った事はいつか言われてきた。
ひとに、無関心、かかわらないようにするわけだ。
叱る事がいかに苦しい事か。「何回ゆーても惜しかった…惜しかったね」
 
罪を犯した悪魔は、今まで、これから、裁いてきた、中傷してきた項目を、すべてその悪魔が受ける事になる。
ゆるすものは不正のコスモスであるエンだけだ。
私が怒る事がどれだけ困る事かわかるかい?
インドラが法側の悪魔達を凌ぐ混沌側の純粋悪である理由がわかった?「やなやつ」
もっと私を怒らせないように気をつけなさい。
でも私はどちらの側とか無い。「ちょっと待ってくれよ」
混沌は法によって秩序だっているのだ。
イレギュラーとかランダムとか、「法則性がわからない」だけであって、実際には法則性があって、わかるものはいるのだ。
「混沌」と聞いていつ出し抜かれるか気の抜けない緊張状態の戦国時代を考えるひともいるかもだ。
でもそれは民主主義の法則であって、「なーるーほーどー」
父なる神の混沌は、すべてゆるす事によって、ゆるされているものがいつ自分がゆるすかゆるさないかの分岐点に立たされるかという緊張感はある。
裁くものは常に裁かれているのだ。
すべてゆるされているがゆえにいつも自分がしっかりして自分を律していないといけないのだ。
奪うものは奪われる。奪われたくないので奪わないように気をつけるようになる。
これが自立の意識を自発的に持つきっかけだ。ファティマは離乳させるもの(自立させるもの)という意味だ。
歯ができたなら、ヘラや罪(アマルティア)のガラ(乳。銀河)からやがて離れなければならない。「ちょと待ってくれよ」
ゆるす側天使側の混沌側もいつ怒って罪に定めて自分の首をしめるかの不安定に常に立たされている。
混沌側だろうが、法側だろうが、結局同じなのだ。「なめ た方がいい」
だから私はどちらの側でもないのだ。
どちら側も「罪に定める事」が自分を苦しめる事になる事に、常にさらされている。
怒らせるものは怒らせられるのだ。その度に怒らせるもの、怒るもの、の中傷は増えて行く。「ちょと待ってくれよ…」
キリストが平和の神であるわけだ。
こわいもの知らずの若い者しか動けなくなる。若い者は若いうちの自分の言動についてやがて裁かれる。
若いうちはーやりたい事ーなんでもでーきるのさー。若いうちだけだ。あとはロボットのような雁字搦めの規則正しい労働が待っている。
不摂生していると段々生活習慣病が身体や心を蝕んでくる。
結局ロボットのような規則正しい生活が待っているのだ。
 
俊とは蟹座(しがらみ、柵、癌)の事なのだ。自由からは程遠い。
 
正しい律法にすでに殺されたものは、身を削って言動しないといけない事に気づきながら節制生活している。
ただでさえ過し難い世界なのに。不正の世界(コスモス)は。
みんな眉間にしわを寄せて押し黙る。
みんな笑わなくなる。他を笑う事で、自分がまた嘲笑われるんじゃないかと警戒している。
めまぐるしく速い韋駄天の「自分の思い」を処理する事に、煩い、悩んでいる。
この世界は下らない世界なのである。
この世界があまりにも生活しにくい世界である事を知ったものは、自殺しようとしたりもする。
でもひとびとは命を救おうとする。それが正しい事と思っているからだ。あとの事など知らない。命を救えればそれでいいと思っている。
不正の世界であるこの世界において正しい事をしようとすれば、どうなるか。「ちーがーうー」「ちょと待ってくれよ」
「堪えて」
ゆるせる事であるかゆるせない事であるかは、すでに自分の心が知っている。
ゆるせる項目やゆるせない項目に反すると、言い様の無い空虚感やストレスや心の歪みなどの心の不健康さや不健康さに襲われる事にも気付いている。
 
なんかネガティヴな文章垂れ流してるなと思ったら、日曜日の薬、朝夕両方飲んでなかった。
 
ごめんねー。
今までの幻聴のやり方から、幻聴の言う事はすぐ疑って警戒してしまうんだよ。
勝手にストーリーを作り出して疑ってしまう。幻聴への信用は皆無だ。でもそれは幻聴の実績に基づくものだ。
私に非は無い(私「非(不正)がない?非天は不正天?」)。
人間も幻聴みたいにしゃべるので、人間に対しても同じようにすぐ疑って警戒して勝手にストーリーを思い描いてしまう。
一緒に過ごす事がもつわけない。「なめとう」「なめとう」「なめとん」
長い事幻聴聞こえなかったのに、薬1日飲まなかっただけで聞こえてくるとはね。
やはり私は病気なんだね。
 
だいたい世界(コスモス)を「不正である」と定めている新約聖書が、罪に定めているのだ。「そうです」
エデンの園の中央の木とは、聖書の事なのだ。「ええ加減にせぇ!よー」
正しいとか不正であるとか定めてしまっている事が、罪に定めている行為なのだ。
ゆるす と思っているのは、罪に定めてしまってから(ひっかかってから)、それをゆるしているのだ。
罪に定めないイノセント状態のものはひっかかってない。聞いてない。