fatimariaの日記

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ただいまー。

大阪から帰ってきました。連休つぶれたー。
 
結論から言うと、かあさんの手術は成功した。
 
その病院はスキルス性の癌の手術もしてくれる最後の砦の病院のひとつで、そんな手術ができるのは日本に2つくらいしかないらしい。
 
かあさんは手術の前の日(7日木曜日)に入院した。
 
でも看護士さんが、バイパスまで切除する事になったら人工肛門になったりする事や、腹膜をとりはらって腸が下に落ちた患者さんもいたので、どういう事になるかきちんとつかまえて聞いておいてください。と言っていたので、伯母とかあさんは不安になって、
伯母「手術するのやめようか…?これ以上生活の質が落ちるんやったら、あと6年半ぐらいの命やっても、今のままの方がいい…。」涙ぐんで言う。介護生活でいろいろあったのだろう。
我々は聞く項目を箇条書きにして、執刀医が来たときに見せた。
すると人工肛門になるかどうかは腹を開いてみないとわからない。人工肛門になるかどうかは0%か100%だ。と言っていたので、かあさんはあとで「人工肛門…。」と不安がっていた。
そして執刀医は、「これを手術前に飲んでください。」とビニールに入ったカプセルを置いた。
執刀医「これを飲んでおくと特殊な光を当てると癌細胞だけ光りますので。」
伯母はそれを聞いてとても喜んだ。腹膜の転移を、肉眼で見ただけで見分けるのは医師でも困難だろうと思っていたからだ。
執刀医「それから癌細胞が見つかったらこれを。」
一枚の書類には、10万円で、見つかったその癌細胞を試験所に送って培養してもらい、その癌細胞に合った薬を作ってもらう、試験所の電話番号が書いてあった。
10万円払えば執刀医の送った癌細胞で、その癌細胞に一番合った特効薬を作ってもらえるのだ。
伯母「有難う御座います!!」
 
その日かあさんは多分下剤を飲んで、
「以前の手術で十二指腸と癒着して取れなかった大腸の狭窄部分と、もしかしたら腹膜に転移しているかもしれなかった癌の摘出と、バイパスを元に戻す手術」
に備えた。
 
その病院は救急病院という事で、病院側が泊める事を希望しないかぎり、家族は泊まれないらしく、一緒に行っていた伯母も泊まれなかったので、
その日は家に迎えに行った大阪の伯父(伯母の夫)と、伯母ととうさんと4にんで晩御飯を食べて、伯母の家におくって、とうさんと私は奈良のとうさんの実家に泊まった。
 
病院から出る頃には、私の右脚が痛くなった。
連日の外部委託のアルバイト1時間がきいたのか、
病院内の売店と病室を何度も行き来したのがいけなかったのか、
カフェインをとりはじめたのがいけなかったのか、
とにかく右脚の足の付け根のでっぱりの少し上あたりが、歩くと痛い、押さえると痛い。びっこひいて歩く程痛い。
おまけに奈良の家での布団が二重なのに平らで、腰も痛くなってきたので、とうさんに言って柔らかい敷布団を更に増やしてもらった。
次の日も少し痛かったが、なおってきた。
 
次の日(8日金曜日)、かあさんの手術は13:00ぐらいになると言っていたが、かあさんの前のひとの手術が長引くかもしれないので、12:00にカプセルの中身だけ飲んで(胃を全摘出しているのでカプセルは飲めないので)待機していてください との事だったので、
私ととうさんは早めに外で昼ご飯を食べて、伯母だけあとで食べる事にした。
かあさんは12:00過ぎにカプセルをはさみで切って中身の粉末をアップルジュースに混ぜて飲んだ。
かあさん「ビタミン剤みたいに酸っぱいから、先生のゆうたとおりオレンジジュースにしとけばよかった。でも売ってないし。」
我々は手術が終わったらナースステーションのそばの病室に移るので、荷造りして待った。
かあさんは人工肛門をつける事になったら4年はつけないといけないと言われたので、それは気になっていた。
かあさん「人工肛門…はぁ…。」
13:45頃お呼びがかかった。
かあさんはいつもどおり、少しもこわがらない様子で手術室まで歩いて行った。
伯母ととうさんは手を振っておくったが、
私は「グッドラック!」みたいに親指を立てて見送った。
 
看護士さん「手術が済むまでここでお待ちください。終わったらお呼びしますので。」と、待合所まで案内してから言った。
ソファーがいくつもある。他に手術を待つ家族達が結構いっぱいいた。
我々は少し遅い伯母の食事に出かけた。手術は4時間らしいので、時間はたっぷりあった。
公園内を歩き、私は105円のソフトクリームを食べ、伯母は少し遅い昼ご飯を食べた。
帰ってきたらまだ1時間くらいしか経っていなかった。
私はiPhoneの猫の写真と、気に入った音楽を聴かせた。
伯母は眠りだしたので、私はフライドポテトが食べたくなり、私「外のローソンに行ってくるわ。」と言って出て行った。
しかしローソンはどこにあったのか…?わからないので大通りを歩いた。スーパーがあった。フライドポテトはない。
ドラッグストアがあった。ペットボトルがコンビニより安い。でもフライドポテトは無かった。
隣にセブンイレブンがあった。でもフライドポテトは無かった。
マクドナルドも近くに無かった。
仕方なく私はセブンイレブンビーフジャーキーとトマトジュースを買って病院に帰った。
まだ手術は終わっていなかった。
伯母がビーフジャーキーを少しだけもらうわ と言ったので少しあげて、私は残りをたいらげて袋をゴミ箱に、トマトジュースも飲んでペットボトルを棄てるところに棄てた。
そのときお呼びがかかった。
看護士さん「手術はまだ終わってないんですけど、先生がお話があるという事なのでこちらに来てください。」
伯母ととうさんと私は、
伯母「手術がまだ終わってないのにお話って事は、判断を我々に任せるという事だろうか?」
私「小腸に転移していたとか…?」
伯母「人工肛門の事やろか?」
不安になっていた。
執刀医が来た。
執刀医「癌は狭窄部分以外は見つかりませんでした。(キツい)抗癌剤が効いたんやろね。バイパスも左まで伸びて行っとったから、狭窄部分を切除して繋げました。今(温度)42度くらいの抗癌剤で中を洗ってます。」
伯母「ああそれで!看護士さんが手術は終わってないって言うからびっくりした。じゃあ人工肛門は…。」
執刀医「つけませんでした。」
伯母「ああよかった!(喜) それでポートは?」
執刀医「ポートは変色していたので新しいのに取りかえました。」
伯母「胸の方は?」
執刀医「胸の方はもう(ポートは)つけなくてもいいと思います。それじゃ、これで。」
とうさんと伯母と私「有難う御座いました!」
 
手術が終わるのを待っていた。
とうさんと伯母は親戚に電話した。
 
待っている間に、伯母がふと、ある事に気がついた。
伯母「癌細胞が見つからなかったら、癌細胞を培養して薬を作るの、どうなるんやろ?」
とうさん「さぁ……?」
伯母「それ聞くん忘れたな。どないしょ?看護士さんにこれだけ絶対聞いといて!って言おか?」
「聞きに行こ。」と立ち上がったとき、看護士さんが、
看護士さん「手術が終わりましたのでこちらにお越しください。」
伯母「これどうなるんでしょう?って先生に聞いといてくれる?」
看護士さん「あ、じゃあ言っておきます。どうぞ。」
 
看護士さん「ここでお待ちください。」
暫く手術室前で待っていると、ちょうど執刀医がYシャツに着がえて手術室前に来たので、聞いた。
執刀医「癌細胞は見つからんかったから、それはしなくていい。送る癌細胞がない。お金も振り込まんでええからね。」
伯母「あ、そうですか。よかった。全部よかった。」
とうさん「最善やな。」
 
運ばれてきたかあさんはまだ麻酔で朦朧とした様子だった。
とうさん「よく頑張ったな。」
 
我々はその日はその後1回かあさんと面会し、手術が成功した事と、人工肛門はついていない事を伝えたら、
酸素吸入のマスクをつけたかあさん「よかったぁ…。」
とうさん「じゃあまた明日昼に来るからな。」
 
手術の次の日(9日土曜日)昼にかなり回復したかあさんに面会し、昼ご飯を食べて、伯母をおくって奈良に帰った。とうさんは眠った。私はドラッグストアに行ったり、近所にコンビニがないか見て回った。
気づかなかったが、家から歩いて5分くらいのところにコンビニがある。帰ってから飲み物を飲んで過ごした。
とうさんは起きて奈良の家の額の整理をして、私はとうさんの頭の中にある事は手伝えないので、テレビを見ていた。
とうさんは夜中まで壊れたお風呂の整備をしていた。私は寝ていた。
 
次の日(今日、10日日曜日)、昼、伯母と一緒にさらに回復したかあさんと面会した。
かあさん「昨日の夜退屈で退屈で。」
私の非常用のラヂオを渡したが、病棟内では聞こえないようだ。今日も退屈だろう。
私ととうさんは11日月曜日(明日)から勤務があるので、あとは伯母に任せて徳島に帰ってきた。
 
帰ったらもう晩だった。
よーこちゃんの言葉数が多い。生餌をねだっている。私はカリカリと牛乳をあげた。牛乳はたいらげたようだ。
 
 
やだあ のもの、有難うね。