テレヴィの男の子「やっぱり鬼は豆がきらいなんだなって思いました。(まじめな顔で)」
私「鬼は、豆が!」
私「お前が言うと別の意味に聞こえるんだよ…。」
鬼娘の弱点は豆。
新兵器の、納豆と豆腐と醤油と湯葉と味噌とおからと豆乳を、鬼に投げてみよう。ベチャっとした不快感が鬼を襲う。
きっと鬼は退散するだろう。あと掃除するのが大変だが。
鬼は漂流した外国人だと言われている。(金髪、青い眼、白い肌(赤い肌)、胸毛、デカい身体 だったから。)
とうさんは大阪に行くので、食料が食卓に置いてあった。
恵方巻きは無かったが、塩豆大福が置いてあった。全部食った。美味かった♪流石すずのすきな豆大福だ。
七福神にあやかって七種類の具の巻き寿司を食べるそうな。
納豆、胡瓜、おしんこ、マグロ、蟹、玉子、海老
くらいでいいだろうか?私ならそれぞれの種類を7本食べるだろうね。味が混ざると美味しくない。
毎年誰か(何か)に言っているが、
1秒間に1001発発射できるガトリング大豆豆鉄砲を、鬼の的に向けて発射。
鬼は弾が当たる度に、鳩が豆鉄砲食らったような顔をしつつ、「ガオーと言いながら腕を挙げないといけない」ので、1秒間に1001回それをする事になる。
そしてとんだ大豆は撃った者がすべて食べないといけない。
10秒間発射で、大豆10010粒。
1分間発射で、大豆60060粒。
みんな、投げた豆は全部食べましょう。
歳の数だけ豆を食べないといけないらしいので、1歳には1粒、100歳には100粒となる(歯が無くても強制)。
私「それ老人虐待じゃないのか?」
私「いや、食べないといけないから!」
つまり、みんなは鬼に投げられる残弾数は歳の数だけなのだ。不作で大豆の価格は高騰してるしね。
鬼「子供が狙い目だな。」
子供達よ、気をつけろ。
いわしの頭とヒイラギの葉を玄関など入り口の上部につけておくというが、鬼は金棒を持っているので、ガラス戸からいくらでも入れると思う。
鰯の頭 臭いので鬼が近づかない。鰯の頭も信心から。にんにくじゃあかんのか?
柊の葉 葉が尖っているので鬼が目を潰して去って行くという。クリスマスにも飾られる。
どちらにしろ金棒でチョイとやればとれる。
誰か「あご外れそうなんですけど。」
誰か「いや、食べないといけないから!」
新婦「ほんとにやるの?」
新郎「いや、節分にはやらないといけないから!」
新婦「…。んは…。」
新郎「美味しい?」
新婦「おいふぃい。」
新郎「じゃあ本番行ってみようか。」
新婦「んふー!?」
七福神は厄災や貧乏である鬼を払うという。弁財天もそのひとりだ。
七福神の中で唯一日本の神。
古事記には、国産みの儀のとき、最初イザナミノミコトからイザナギノミコトに(女から男に)声をかけてセックスしたときに、3歳になっても脚が立たない泡だけの水蛭子(ひるこ)が産まれたので、葉を結んで作った舟(?うろおぼえ)に乗せて海に流したという。実は二柱の長男なのだ。
両親に海に流された為に、航海、漁業、大漁、商売などの守護神になった。
夷(えびす)は異郷や部落と部落をへだてている野山の事で、領域の接点にヱビス神を祀って市を開いた市神とした。
弁財天
七福神の紅一点だと一般にはされている。
創造神、言語の神である梵天(火星)の妻で、インドのサラスヴァティーという川だったが、神格化され、発音が似ていた為、風、音、言語の神と同一視され、琵琶を奏でる音楽や歌の女神にもなった。そして流れ、波の女神として、日光であるサヴィトリ(太陽神)とも同一視される。
大黒天
インドではマハー・カーラ(大きい・黒)と言われる、剣を持った憤怒の魔神で、敵に対して残虐な事も平気でする神。黒であるところから、すべてを飲み込んで無にするシヴァ神(金星)の1化身とされる。密教においては大日如来の憤怒形のひとつとされている。
取引の代償は人間の血肉であり、差し出す血肉に応じて延命長寿などを与えるという。
富や財を出す力がある宝貝である。
布袋
ミトラス(マイトレーヤ。友、契約 という意味)というペルシャの美青年太陽神だったが、中国に渡るといきなりhaゲでdeブになった(唐の時代に実在した「契此」という僧の事。布袋)。日本に渡ると再びスリムに(弥勒菩提薩埵。半跏思惟像などを参照)。
忉利天、須弥山の上にいる。
実際には弥勒下生経からすると、布袋がこの世界に姿を現すのは56億7千万年後の事(太陽の膨張時)。
いく毛やダイetにはご利益は無さそうだ(弥勒菩薩はあるかも)。
ミトラスは水天ヴァルナ(阿修羅・マズダ)と対を成す神で、
ミトラス(布袋。弥勒菩薩)は昼の太陽神
阿修羅・マズダ(水天ヴァルナ。八部衆の1名である水龍)は夜の太陽神(見えない)
と言われる。
毘沙門天(音訳)
鰐である事から水と関連付けられ、香川の金比羅の航海の守護神となった。
鰐は海にいないと思う(死んじゃう)。日本では鰐(わに)と鮫(さめ)は同一視される(鰐を見た事無いからっていいかげんな…。)。
創造神プラジャーパティ(梵天。火星。スヴァヤンブー。)の孫。魔神軍団の王だったが、嫉妬深い弟の魔王ラーヴァナに追われ、ヒマラヤに逃げて、そこが宝の山だった為に、富の神となった。
北を護るというが、実際には須弥山(エベレスト)の喜見城のインドラを中央に置く、北の倶盧洲(くるしゅう)(北倶盧洲。ほっくるしゅう)とインドラを護る者で、
人間が住んでいるところは南部(南の)閻浮洲(えんぶしゅう)「だけ」なので、人間に毘沙門天は関係ない。
縁日は1月5月9月の第一寅の日で、寅毘沙門とも言う。
寿老人
カノプスとは、ギリシアのトロイア戦争のとき、スパルタ王メネラオスがひきいた艦隊の水先案内の長をつとめた人物の名だ。トロイア滅亡ののち、北アフリカのアレクサンドリア付近の港に寄港したときに、水先案内のカノプスが死んだので、王がその功績をおしんでその港にカノプスの名をつけ、当時同地で地平線上7度あまりの高度で南中していたこの星の固有名として用いられるようになったという(本「星座の神話」より)。
アラビアでは別名スハイルがあり、アラビア語アル・サール(明瞭なもの という意味)という意味で、この星の明るさからきた。
みんな賢くなれば争いが起こるから、バカで豊かに平和でいなさい という思想が、
平民を賢くしない(義務教育をしない)で操るという政治戦略に利用された。
日本でカノープスは、
冬の夜に地平線スレスレの位置に南中するので、赤い星になってしまい、見られると珍しいので大変めでたいとされ、寿老人とされる。
千葉では「布良星(めらぼし)」、
岡山東部では「淡路星」、「鳴門星」、
と言われる。
福禄寿
福(幸福。実子の事)は蝙蝠
禄(封禄。お金の事)は鹿
寿(長寿。健康をともなった長寿)は寿老人
として絵に描かれる為、福禄寿は、蝙蝠と鹿と寿老人のワンセットで福禄寿という事になる。
吉祥天
七福神に含まれるか含まれないか諸説による
インドの幸運の女神ラクシュミ(マハー・シュリー。大幸運 という意味)。
仏教にとりいれられると毘沙門天の妃(または妹)とされ(よくやるね。仏陀が性愛を禁じたから見限ったか。)、毘沙門天と吉祥天が背中合わせに同体になっている像も日本には存在する(漫画「聖闘士星矢」の「ジェミニのクロス」のよう)。
として、運命の強制力が、幸運と不運は表裏一体で、必ずしも幸運とは限らない事を表す。
なので、
弁財天は七福神で紅一点とされるけれども、
インドではラクシュミは今もヴィシュヌの妻とされている。
福禄寿と寿老人が同体で、毘沙門天と吉祥天が同体なので、やはり六福神である事はあまり知られていない。
そしてインドの神率が高い。
鰯の頭も信心から。日本人は自分達の生活が豊かに安定していれば神がどうであろうがオッケーなのだ。
七福神信仰は、日本人に何も知らない信心深さがあったとしても、日本人が信仰や神々についてかなりいいかげんである事をあらわしている。
さあ0:00過ぎたし立春だ。暦の上ではもう春だ。
今日はペルセポネーが夫のハデスのもとから、母のデーメーテルの居る実家に帰る日だ。
四季と農耕の女神であるデーメーテルは一人娘の帰るこの日を心待ちにし、やがて機嫌がなおって暖かい春がやってくるという、地球の北半球の神話だ。
太陰太陽暦のなせる複雑さだ。
正月を春とするのは、年賀葉書に「新春」とか書くところにも残っている。
太陽暦の正月に新春は気候的におかしい。本来は旧暦の正月から春なのだ。
パソコンが起動しないで寝ている2月5日(火)晩、
寝てるときの幻聴「ほっとくんもじゅんかなんやけん(放っておくのも「じゅんか」なのだから)」
准可 ゆるすこと。
純化 まじりけをなくすこと。純粋なものにすること。複雑なものを単純にすること。
馴化・順化 異なる環境に移された生物が、次第になれて、その環境に適応した性質をもつようになること。気候順化・高地順化の類。
政治について 勝手にしろ って放っておくのも准可だと言いたいのだろうか?
私のブログは放射線のようだから、パソコンが起動しないで放っておくのもじゅんかだと言いたいのだろうか?
ジェンカと同じ発音のじゅんか だったので、純化ではないと思う。
糾弾する という動詞は、うちのパソコンのフォントや電子辞書には出ないようだ。
凶弾とか教団とか教壇とかくらいしか出ない。